鉄道アイドル木村裕子は
なぜ叩かれたのか?

なぜ鉄道アイドル木村裕子は叩かれたのか?

「鉄道に対する愛の無さ」
これに尽きるのではないだろうか?
つまり、鉄道アイドル木村裕子の言動から、全く鉄道が好きだという印象を受けず、鉄道の何がすきなのかすら分からないのである。
そして「偽装」と言われても仕方の無い、身の丈を超えたアピールが批判を生んだのであろう。
木村裕子はこの事について何度も釈明している。
「色々な鉄道好きがあっていいじゃない」
はい、良いですよ、で、何がすきなんですか?
いまだにわかりません。
「カーテンが可愛いとか、内装が可愛いとか、そういう好きがあってもいいじゃない」と過去に言っています。
はい、かまいません、そういう好きもありです。
でものその事を話したのはその時くらいですよね、本当に内装好きなんですか?
ここ数年の鉄道アイドル木村裕子の鉄道好きの内容を見てみると、どれも長続きしない場当たり的な言動を繰り返しているだけなのだ。

何度も書いたように、「鉄道」という趣味は実に多様なジャンルに分類されているため、鉄道ファンとて全ての知識を有しているわけではない。
だから知識が無いというだけでここまで批判を受けたのではない。
しかしどの分野、ジャンルの鉄道ファンであっても、皆、鉄道に対する熱い思いがあるのだ。
だが、鉄道アイドル木村裕子は鉄道の何が好きなのか、いまだに分からないのである。
以前、2ちゃんねるに話題が出ていたが、木村裕子には「キター」とか、「わかっているねぇ」「オイオイ、そう来たか」「そうそう、そういうことだよ」みたいな印象を受けることは全く無いのだ。
要するに鉄道ファンの「ツボに入らない」、つまり共感するところが何も無いのである。
どれもこれも話題づくりのためのパフォーマンスに過ぎず、根っから鉄道を愛していると言う印象を全く受けないのだ。
それでいて、やたら自分は物凄い鉄オタのように振舞うため、その違和感が批判の的になってしまったのだろう。

なぜ木村はこんなことをしたのか?
木村は十代の頃よりネットアイドルとして活動し、いくつかの事務所に所属する。
しかし、泣かず飛ばずの時期を過ごす。
25才になり、アイドルとしてはもう見切り品の年齢、かといってグラビアアイドルでやっていけるようなルックスもプロポーションも無い。

そこで・・・
木村は車内販売のアルバイトをしており多少一般人より鉄道の知識があり、おそらく駅などに集結している鉄オタの姿を何度も見ただろう、しかしその中に女性はいない・・・
鉄オタ=女性とは無縁というのを目の当たりにしたのだろう。
そして誰もいない「鉄道好きのアイドル」で売り出し鉄オタを相手にすれば、それはニッチ産業、全ての注目は自分に集まるという公算があったのではないか?
しかし、木村が出る前後にホリプロの豊岡真澄がマネージャーの南田氏の影響で、鉄道好きのアイドルとして注目され始めていた。
さらに同じ時期、鉄道好きの女性タレントやアーティストが出始めたのだ。
おそらく木村としてはこの競争に打ち勝たなくてはならない、自分こそ本当の鉄道アイドルだという評価を集めようと、必死だったと思う。

それを証明する出来事がある。
それはある鉄道好きのタレントがイベントに出演したさい、「鉄道アイドルが来る」と宣伝された事に腹を立て、ブログで「鉄道アイドルは私が考えた言葉だ」「商品登録していないが(そもそも商品登録ってなんだか分かりませんが、商標登録なら知ってますが)気安く使うな」などと、攻撃的な記載を行い、それをみた木村裕子のファンがそのタレントに攻撃を加えたという事件があったほどだ。
この言動から見ての通り、よほど自分だけ注目されようとしていたのだろう。
「注目されよう」という一点に集中し、中身が伴わなかったために、結果的に「偽装」になってしまったのだ。

最近はマスコミも見抜いており、あるスポーツ紙でも「最近ブームの○○アイドルは後付で中身が無い」旨、記事になっている。
そしてその原因はアイドル乱発時代で、なんとか差別化しようとした無理矢理の結果だと分析している。
それを裏付けるかのように、木村裕子も自分の身の丈を超える行動に出てしまって、一旦は評価を集めた物の、それがかえって鉄道アイドル木村裕子に対する評価基準を高めてしまい、逆に真実が明らかになったとき、一斉に「偽装だ」「騙された」という評価になってしまい、元々のファンすら叩きに転じたと思われる。

構成作家のおちまさと氏は著書「企画の教科書(NHK出版)」で、ヒットの要因の一つは「振れ幅」だと言っている。
例えば母の日にカーネーションをプレゼントしたという番組は当たり前すぎてつまらない。
仮にこの感動の幅を10としよう。
しかし、「十代の頃暴走族に入り、母に連日暴力を振るっていた。かけおち状態で結婚し、自分にも子供が出来、やっと母のぬくもりが分かった。あの時の自分をいまは反省している、その反省の思いを伝えたく、カーネーションを渡したい」という番組は感動するという。
行為自体はカーネーションを渡すというただそれだけの事で、この感動が10には変わりないが、このような番組にすると「とんでもないワルだ」というマイナス、例えばマイナス500からプレゼントと言う10まで合計510の振れ幅があるため、同じ行為でも感動が増す=ヒット番組になるという。

だが、皮肉にも木村裕子はこの法則を逆に発揮してしまったのだ。
つまり、当初余りにもすごい鉄オタぶりをアピールすることにより木村裕子に対する周囲の評価基準を高めてしまう、しかし実態はあまりにも中身が無いお粗末な物だったため、普通の女性タレントの誤った発言なら「フーン」で済まされる大した事でなくても、木村に対しては高い位置からマイナス評価に転げ落ちるため、振れ幅が大きくなってしまい、実態以上の批判を生んだのだろう。
鉄オタ的に分かりやすく言えば、停止寸前の低速で車止めにぶつかっても、連結器が壊れるくらいだろう。
しかし、新幹線が最速状態で車止めに激突すればどれほどの衝撃となるか考えれば分かるだろう。
全ては身の丈を弁えず大きく見せすぎた結果である。

それでも演じきればよかったが、生粋のマニア相手に薄っぺらな一夜漬けの知識など、直ぐに本物か偽者かなど見破られてしまうのだ。
まして鉄道マニアの世界は、物凄く細かい者が多い世界である。
鉄道模型のトミーテックのリコール情報でも、一体何がどう違うのか直ぐには分からないような製造ミスで、クレームの嵐となり、リコールになるというのが鉄オタの世界である。
そんな世界で鉄道アイドル木村裕子の知識など全く通用しないのである。
ましてそんな薄っぺらな知識で、さも物凄い鉄オタのように振舞う行動に反感が増したのであろう。

現状、木村としてももはや引っ込みがつかなくなってしまい、なんとか鉄オタぶりをアピールしようと、さらに身の丈を弁えないことを言い出すため、「そんな鉄オタだというのにそんなことも知らないのか」と、かえって批判の火種を作ってしまうだけなのだ。
しゃべらないければしゃべらないでコメントしないのかと突っ込まれ、しゃべったらしゃべったで間違えだらけで突っ込まれ、それでいてなんとか自分の凄さ(別に凄くないけど)を維持しようとする・・・
その結果、偽装ブログまで公開してしまったのだろう。
だが、鉄オタならそんなものは直ぐに見破ってしまう。
こういったことを繰り返し、何を言っても、何をやっても叩かれるため、プログには鉄道の話題が殆どなくなった一方で、どの仕事をしたとか、誰と会ったというアピール(それも有名人や業界人)ばかりになってしまったのだろう。
それが益々痛々しさを増す要因になっているというのに・・・

鉄道ファンが木村に引かれたのは、鉄道と言う趣味を通じて同じ世界を共有できるからだ。
だが、それがなくなってしまったのなら、もはや鉄道アイドルとしての価値は無いのだ。
そんな中で仕事自慢ばかりされてもドン引きである。
木村裕子はその事を分かっていないし、事務所もお笑い事務所のためか、アイドルファンの心理は何一つ理解していないようである。
結果はご覧の通りだ。

もしかすると鉄道アイドル木村裕子はコアな鉄オタではなくても、ある程度鉄道好きだったのかもしれない。
だが、身の丈を超えてアピールしすぎたがために、中身が伴わず批判を生んだとも考えられる。
木村自身が言っているように、鉄道好きには色々な「好き」がある。
車両形式や構造など全く知らなくても、純粋に鉄道の旅が好きと言うだけでも十分に「鉄道好き」と言える。
それで十分だったのだ。

美佐島駅
鉄道ファンが求めた鉄道アイドル・・・
筆者が勝手に総評させてもらうと「旅少女」ではないのかと思う。
これは1990年代の「青春18きっぷ」のポスターで写真家のアラーキーこと荒木経惟氏が撮り降ろした物である。
青春18きっぷを使い、一人の少女がローカル線を旅する、そこには色々な出会いや発見があり、「自分」というものを考えさせてくれる・・・その姿をアラーキーが自然体で撮っていくものだ。
おそらく三十代くらいの鉄の方にはかなり懐かしい物だろう。
光文社から書籍としても発売されている。
絶版だがヤフオクなどで探して欲しい。
これはポスター用の写真だから、言ってしまえばヤラセだし、出演者もアラーキーも決して鉄オタではない。
しかし、「青春18きっぷ」というテーマに基づき、鉄道のたびの醍醐味と言うものをこれ以上になく伝えている作品だと感じる。
車両に詳しくなくてもいい、形式に詳しくなくてもいい、知識なんていらいな、ただ純粋に「鉄道っていいな」・・・そう感じさせてくれるだけで十分なのだ。
そして鉄道のたびの楽しさをお互い共感できれば、それでよかったのでは無いだろうか?

そのことを証明する一つの実例がある。
掘北 真希のDVD「その先の日本を見に。〜少女と鉄道〜」だ。
掘北 真希は後にも先にも「鉄道ファン」という公言をしていなし、気動車を「電車」という、基本的に間違えも犯しているが、このDVDが鉄道ファンから絶大な支持を受けているのだ。
これは掘北 真希が一人で(もちろん実際にはスタッフが同行しているわけだが)鉄道を利用して旅をするという物で、様々な出会いや発見があり、鉄道が本当に人々に愛されているということを感じ、涙もするという物だ。
これが鉄道の旅の醍醐味ではないのか?

そもそもそのことは木村が過去に受けたallaboutのインタビューで答えていることではないのか?
「鉄道には夢がある」と・・・
だが・・・
「仕事でいろいろなところに行けるんですから、ぜいたくな悩みですよね」と書かれているが、その移動も木村は飛行機中心である。
「最近は全国各地でイベントなどの出演が増え、忙しくなってしまって」とあるが、その夢を追い求めなかった結果、仕事が激減し、鉄道ファンから出て行けコールが巻き起こったというのは実に滑稽である。
なぜかこの点だけ、有言実行になっている。

鉄道のたびの何たるやを全く理解していない鉄道アイドル木村裕子・・・
鉄道ファンからの共感など得られるはずが無い。
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